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常喜院についてAbout Jokiin

常喜院縁起History

ようこそ常喜院へいらっしゃいました。
ご縁がございましてお参り頂きありがとうございます。簡単に当院をご紹介申し上げます。

<開基:実恵上人>
常喜院の由緒は、遠く1,200年前にさかのぼります。
菩薩所常喜院は、弘法大師の弟子の中で第一の高足、弘法大師について最初に入山した弟子と伝えられる道光大師実恵上人の開基でございます。
弘法大師が高野山を開創される際、弟子の実恵上人や泰範上人らに当院の創立を命ぜられて、弟子らの住居とされました。

<中興:心覚阿闍梨>
以来、法灯連綿。しかし中世に寺宇が衰退しておりましたところ、仏種房心覚阿闍梨が中興なさいました。今から800年余り前の事です。
心覚阿闍梨は近江(滋賀県)の出身で、最初は大津にある天台宗三井寺に入門しましたが、後に高野山に登って真言宗を学び、常喜院を復興し、高野山の僧侶となったお方です。激動の平安時代末期の高野山にあり、「本朝高僧伝」・「往生伝」等に名を連ね、常喜院流という学派を完成し、京都・御室の仁和寺に現存する「別尊雑記」五十七巻を大成した、当時第一の学僧と伝えられています。

<幕末の大火>
心覚上人以後、常喜院はいろいろな変遷を経ますが、江戸の元禄年間(1688年)、往生院谷から小田原谷の地に移ります。
そして幕末の元治元年(1864)、大火に遭い全ての堂坊を焼失してしまいます。しかし、明治三年(1870)現在の「六時の鐘」の隣地に移って再興し、来迎院・三室院を合併して現在に至っています。

<現在の常喜院>
現在の常喜院は、総本山金剛峯寺・六時の鐘・壇上伽藍・大師教会等に囲まれた高野山の中心地にあり、参詣や見学等に大変便利な場所にございます。
当院は江戸時代より遠州、尾張、岐阜、伊勢の各国とは特別にご縁が深く、戦後は地域の区別なく、皆様ご自由にお詣りになり、ご縁は全国に広がっています。全国の皆様が常喜院を菩薩所としてご位碑を建ててご先祖様を供養し、現当二世の冥福、招福を祈っていらっしゃいます。

<高野山の宿坊について>
古来より、高野山への参拝者は宿坊に参籠するのが慣わしで、参拝者のお世話をさせて頂くこれら宿坊は正式には「所縁坊」といいます。
宿坊の制度は、ずいぶん古くから行われていたようで、すでに足利時代の記録にも登場しています。その起源は、山内に草庵を結び棲む修行三昧の僧や聖を、その郷里の人々が訪ねて登山して来たことや、地方巡杖のさきで、遠近の人々と師檀の契りを交わし師を仰いで来訪する信者に一夜の宿を提供する定めとしたことのようです。
高野山には116の寺院があり、このうち52ヶ寺が宿坊です。
いずれも古来からの由緒に輝き、数々の寺宝を蔵し、霊験のあらたかなご本尊を安置し、宏壮な建物と優雅な庭園を擁し、諸般の施設を備えています。
山深い宿坊で清楚な精進料理を味わい、心身を清めてしばしの無の時間を持つ。
全てがあわただしく過ぎてゆく現代に、束の間、このような静寂なひとときが尊いのではないでしょうか。

高野山は、弘法大師が真言密教の根本修行道場として開かれた聖地でございます。
高野山内はお大師様の息吹が霊気として脈々と流れる聖域とされています。
このような空気の中で何かを感じて持ち帰って頂けましたら一同幸甚でございます。
ありがとうございました。

ご本尊Principal image

ご本尊について

常喜院の本尊様は、子安、延命のお地蔵さまです。
お地蔵さまは、仏教の始祖のお釈迦さまが入寂された後の五十六億七千万年後に、兜率天より弥ろく菩薩がこの世に出現されるまで、お釈迦さまにかわって衆生を地獄の苦しみから救済し、導いてくれるという誓願をおもちになっておられます。

お地蔵さまの「地」は、土地に種子をまけば花も実も成長するように万物の生ずるところであることを表しています。また、「蔵」は、そうした万物を蔵するところであるとされています。すなわち、お地蔵さまの名前は「すべての衆生を救済する偉大な功力を蔵すること大地のごとし」という意味から、「地蔵」と名付けられています。

日本の仏像の中で、最も多いのがお地蔵さまで、お寺はもちろん、村のはずれや町かど、田畑の片すみ、お墓の入り口、峠の頂上など、さまざまな場所で、人々のなりわいを見守っておられます。数ある仏さまの中でも、お地蔵さまは庶民に一番信仰されてきた仏さまでもあります。
お地蔵さまの功力は、六道の世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)にまで及び、六地蔵としておまつりされていることはご承知の通りです。

常喜院の本尊さまは、特に子安・延命に霊験があり、子宝・安産・長寿・延命の功力が、事のほか大きいとされています。

正式には、木造地蔵菩薩坐像(もくぞうじぞうぼさつざぞう)といい、鎌倉時代中期、永仁二年九月二十四日(1294年)、院派の四人の仏師の作の銘があり、大正九年四月に国の重要文化財の指定を受けています。寄木造、玉眼の坐像で、錫杖と宝珠を手にし、「きりがね」の「すかしぼり」の光景の精密さと相光の美しさが特徴です。

赤地蔵堂Akajizo hall

ようこそお参り、赤地蔵さんがお待ちしています

常喜院の正門横には「恵宝地蔵」様をお祀りする「赤地蔵堂」がございます。
どうぞお参り下さい。
【赤地蔵様】別名:恵宝地蔵尊<愛称:赤じぞう・紅箔(こうはく)じぞう・玉じぞう>
こちらのお地蔵様は、恵宝地蔵尊と申しまして、福徳・財福を大「地」の如く内「蔵」せられるという「地蔵」様が、その福徳<「宝」>を衆生<命あるものすべて>に「恵」み与えるところから来ています。お地蔵様は、衆生を救済するという利他行実践者=菩薩様の一尊でもあります。赤ん坊のように赤く、福々しい御身体の上に金箔を張るところから「紅箔じぞう」と愛称されます。

■好むもの
赤いもの(紅白まんじゅう・金時人参・すもも・福神漬・大福もち・三宝柑・甘栗・桃)
■お姿
御身体の赤色は、高野山の鎮守様、丹生明神の丹生(水銀朱)の朱色からきています。
「大昔の中国では水銀朱は仙人の薬=仙丹と考えられていました」
丹生明神をはじめ、日本の神様は、定期的に生まれ変わること「みあれまつり」により、若い生命力を得るといわれています。
■お衣
普通、お地蔵様は、地蔵袈裟をいう大きな袈裟を着ておられますが、こちらの御像は、弘法大師様が、唐の国から持ち帰られた曼陀羅の中に描かれている地蔵菩薩様の御衣を着ておられます。
■持ち物<錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうしゅ)>
右手の錫杖は、本来その鳴る音で衆生の煩悩や障害を除くという仏具ですが、ここでは幼児が持ち、音を楽しむガラガラのオモチャの役をしています。
左手の宝珠<宝の玉>は、衆生の願いにより、自在にお宝を生じるといわれています。子供の大好きな甘栗や桃のような形をしています。
■蓮華座<はすの花の台座>
お地蔵様が活躍する、この世のはるか西方に極楽浄土があります。極楽浄土には蓮池があり、そこのはすの上に、この世で命を終えた善男善女が、赤ん坊の姿で生まれ変わるといわれています「極楽往生」。その場面を表すために、赤いはすの上に乗っておられるのです。ちなみに極楽浄土の教主(あるじ)、阿弥陀様の持ち色「シンボルカラー」も赤色です。
■宝瓶(ほうびょう)「たからの壺」
蓮華座下の壺の形は、中から財宝を産出し豊饒をあらわすという宝瓶です。愛欲を司る愛染明王様も、赤色の御神体で、宝瓶の上の蓮華に坐っておられます。仏教の源インドでは、壺を福の神のシンボルにすることがあります。
■御像に金箔を張ることの意味
お地蔵様をはじめとする菩薩様は、衆生(命あるものすべて)を皆、苦界から救済された後、念願かなってほとけさまになる(成仏)といわれます。ほとけさまの代表的な色は金色ですので、こちらの御像に金箔を張ることにより、早く成仏を願うというわけです。
皆様のお悩みの場所に金箔を張り、祈願して下さい。持ち帰られて、お守りにして頂いてもけっこうです。
金箔から漂う白檀の香りもお楽しみ下さい。

合掌

お地蔵様をご本尊とする常喜院 院主 加藤栄俊 敬白
協力 ほとけさまの謹刻職人 佛工 長谷法寿 拝

住職からのご挨拶Greeting from master priest

高野山常喜院住職 加藤栄俊

皆様、こんにちは。
高野山常喜院住職、加藤 栄俊でございます。
高野山は弘法大師様のご開創以来1,200年の間、沢山の皆様方の祈りの集まるところという事で、日本の三大霊場の一つとして栄えて参りました。日本国内には例を見ない山上の宗教都市でございます。

ユネスコの世界文化遺産にも登録され、国内は申すに及ばず、世界中の皆様が参詣ののためにご登嶺されます。
真言密教の根本道場としての壇上伽藍をはじめ、真言宗の総本山金剛峯寺。お大師様信仰の源泉でもあります奥の院。20万とも50万ともいわれております奥の院参道の墓石群はまさに圧巻でございます。
また、山上の正倉院とも称される美術館「霊宝館」等々、枚挙にいとまがございませんが、ご登山、ご参詣下さいました皆様を魅了してやまない事かと存じます。
弘法大師様は高野山を「法身の里」と仰っています。皆様も「法身の里」高野山の歴史と文化を存分に体験され、皆様方の「心の拠り所」とされます事を願い申し上げましてご挨拶とさせて頂きます。

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